式神の心得サンプル


 

中空で白く輝く太陽は、刺すような冷たい空気にほんのわずかなぬくもりを感じさせる。それは幻想郷にも桜の季節が到来したことを人々に予感させた。撫でるような風からも花の香りがかすかに漂ってくるので、その予感もあながち間違ってないだろう。

 幻想郷は気候的にいえば、比較的桜の開花は遅い方だと里の誰かが言っていた気がしたが、そんなことはどうだっていい。
 桜前線や専門的な理屈がどうであれ、結局は春告精が一度飛んだ場所は誰が何と言おうが春を意味するのだ。そんな春告精も先日、ここ博麗神社の真上をニコニコ笑顔で通り過ぎて行ったばかりだった。
 とある晴れた日の午後、ぼんやりと雲の流れる様子を見ていた博麗神社の巫女、博麗霊夢はふと視線を地面に下ろした。足元には小さな生命の息吹ともいえるつくしがひょろりと伸びていた。
「本格的な春になるわね……」
 霊夢のつぶやきには歓迎も歓喜もない。異変でもない限り、時が来れば自然と向かえるであろうこの季節。
 そんなことをいちいち気にするよりも、目の前のつくしんぼに対してどう調理すれば日本酒に合うかを考えた方が、よっぽどメリットのある時間の使い方だと見なしているのだろう。実感の湧かない空模様の変化より、実のあるつくしのほうが霊夢にとっては春らしさをより強く意識させるのだった。
「はーあぁ……」
 霊夢は地獄の八咫烏まで聞こえるくらいの深いため息をついた。
 そこにはある理由があった。
 それは春になれば待ってましたとばかりに各地で始まる風物詩。食べ物を、あるいは酒を持ち寄って花を肴に昼夜を問わずどんちゃん騒ぎをする。
 そう、「花見」だった。
 ここ博麗神社もそんなブームにあやかって、何度か博麗大花見祭なる企画を考えてみたのだが、開けど開けど集まるのは有象無象の妖怪少女ばかり。
 まっとうな感性を持つ人間ならばその輪に入り込もうなどと考える者がいるはずもなく、むしろ当然の結果といえた。
 おまけに何度追い払おうとも次々とわらわら集まっては、神社の境内で好き勝手大暴れしていくうわばみ少女の群衆。
 おかげで人里の一部からは「すっかりと妖怪サイドに堕ちた神社」のレッテルを貼られてしまっていた。それだけならもう今に始まったことではないのだが近頃では、
「博麗神社の巫女は妖怪を手懐け、幻想郷を牛耳らんとしている」
「もうあの神社はダメだ。早くなんとかしないと」
「山の守矢神社の巫女の方が胸もあるし、可愛げがあって優しいし、あとおっぱい大きいし」
 などと好き勝手言われている始末。
 最後の余計なことを口走った者は今頃簀巻きにされて、湖に浮かんでいることであろうが、要するに、『花見を利用し参拝客を増やして、お賽銭がっぽり計画』が夢へと消えてしまったのだ。ただでさえ少ない参拝客が更に減ってしまう。本当に商売上がったりである。
 案内状の配布を天狗に依頼したのがそもそもの間違いだったりと、企画側にも問題があることは否めないのだが、霊夢は賽銭箱に入る桜の花びらが賽銭だったらなぁ、と都合のいい悔しさを隠しきれずにいた。
 今日も神社の境内では、いつのまにか集まった百鬼夜行による宴会が始まっていたのであった。
「お――い、霊夢ぅ! そんなしけた箱のそばでしけた顔してないで、こっちに来て飲もうぜー」
「うるっさいわねっ! しけたとか余計なのよ!」
 霊夢の吠えた先には黒いとんがり帽子が一つ。
 霧雨魔理沙。気候的にはまだ少し肌寒いからか、白いタートルネックの上から半袖の真っ黒のジャンパースカートを重ねて、腰回りにはフリルの付いたエプロンを巻いている。
 彼女が黒白魔法使いと言われるが所以の服装だが、いつも手にしている竹箒の代わりに今は一升瓶を抱えて霊夢に手を振っていた。頬が若干濃いめのピンク色に染まっていることから、いい感じに出来上がっているのが一目でわかる。
「後片付けちゃんとしなさいよねっ、たく」
 ブルーシートの上で大の字になっている小鬼を蹴飛ばし場所を確保すると、魔理沙からお猪口を受け渡される。それを一口で飲み干すと魔理沙は満足気に笑い、次なる絡み相手を求めて席を離れていった。
(おらぁー! アリス! 飲みが足りてないんじゃないかっー?)
(ちょっ、待って魔理沙! そんな一気にはオゥボロエオロロがぼぼがぁ!?
 一升瓶をラッパ飲み状態で口へと押し込まれ、目や鼻や口、いたるところから液体が溢れ出ている人形遣いを、指差して大笑いする者、一応は心配する者、次は我が身かと不安になる者など、周りは思い思いの反応を見せていた。
 そんな様子を遠目に見ながら、「まぁ、妖怪だし死にゃしないか」と呆れ半分にため息を付いた霊夢はぐるりを境内を見渡した。
 一番大きな桜のちょうど日陰になっている部分では、先ほどまで自慢のカラオケを披露したものの、野次を飛ばされ大暴れしていた幼い吸血鬼がすっかり疲れてしまったのだろうか、今はメイドの膝枕で寝息を立てていた。
 隣の島ではさっきまで永遠亭の姫君こと蓬莱山輝夜と竹林に住む藤原妹紅との一気飲み対決が繰り広げられていたが、結局勝負は引き分けとなったのだろう。今は二人揃ってうつぶせに倒れている。
 妖怪兎のてゐが何やら毒々しい色のフラスコを手にニヤニヤしている様子から、ひょっとしたら勝負はもっとシンプルな方法で決着したのかもしれない。
 薬師の永琳と寺子屋の教師である慧音が、そんな状態の二人を放っておいて談笑しているのも実にシュールな光景であった。
「ほんと、自分勝手な連中ばっかなんだから」
 先程霊夢に蹴られた伊吹萃香は、「うーん、まだ足りないよぉー」と変な寝言をつぶやきながら幸せそうな顔をして眠っている。
「萃香があんなになっちゃうなんて久しぶりよねぇ。例のお酒()
 霊夢の後ろでぬっと白い腕が伸び、霊夢の持つ空いたお猪口へ、無色透明の液体が注がれた。
「ぎゃあ!?
 背筋に冷たい手を入れられた時のようなおぞましさに思わず悲鳴が漏れる。
「乾杯とは盃を空けること。はなから空いてたらお話にならないわ」
「そうよぉ。はなから空いていたら花見にならないわよぉ」
「幽々子さまっ、いくらなんでも飲み過ぎですってば!」
 八雲紫。境界を操り、隙間に潜む妖怪の大賢者。
 いつもの紫色のドレスに身を包み、手には先ほどの魔理沙よろしく、日本酒の一升瓶を抱えている。
 その隣には冥界にある白玉楼のお嬢様、西行寺幽々子。
 涼しげな水色の和服を身にまとい、桜の花びらと同じ色の頭には額烏帽子を意識した帽子をかぶっている。
 もともとおっとりとした口調で話すのだが、大分酒が入っているのか普段以上にゆるゆるとした物言いだった。
 さらに帯が緩んでしまったのか、着崩れした着物の間からちらちらと見え隠れしているものは、男性だったらさぞかし目のやり場に困るだろう。が、あいにく神社の境内に集まっているのは全員女性。こうしている間にも哀れなまな板天人やら騒霊の長女からの恨めしい視線を大量に浴びているのだが、肝心の本人は無自覚である。同じ霊体ならまだしも、前者にとっては妬みの対象が肉体を持たない亡霊とはなんとまぁ皮肉なことだろうか。
 そんな幽々子を必死に注意しようとしているのは、西行寺家専属の庭師、魂魄妖夢。
 白のブラウスに常磐緑のワンピース。銀髪のボブカットに大きな黒いリボンを結んだ小柄な少女。さすがに酒の席だからか、普段腰に下げた二振りの刀はブルーシートの隅に置かれていた。
 先ほどの紫の口ぶりから察するに、今霊夢のお猪口に注がれたのが『鬼殺し』という酒なのだろう。飲んだ鬼が気持ちよさそうに眠っているところを見るに、名前負けしていると思うだろうがとんでもない。
 誰よりも宴会が大好きで、無限に酒が沸くひょうたんを四六時中がぶがぶ飲んでいるような奴が宴会中に酔って寝ているのだ。文字通りイチコロだったのだろう。そう思うと霊夢は手にした酒を飲むのが恐ろしくなった。
「こんにちは、霊夢」
「あによ。あんたらも来てたの? わざわざウチに来なくてもあの世でやったらいいじゃない」
 幽々子が住む白玉楼周辺の桜並木といったらそれはもう見事なもので、中には天界へと登るのを躊躇する魂がいるほど人気を博しているという。過去に霊夢も彼女らと桜を理由に一悶着あったほどだ。
「せっかくならぁ、みんなと一緒に呑んだほうが楽しいじゃなぁい」
 にへらぁとした笑顔のままブルーシートの上を転がろうとする幽々子。
「ちょっアブなっ! ほら、幽々子様、しっかりしてください!」
「よぉ〜むー。ほらほら、あっちのほうにはもっと美味しそうなお酒があるわよぉ」
「あっ、幽々子様ー! 待ってくださいよぉー!」
 ふよふよと宙に浮かび、永琳たちのいる島へ風に流されるように漂い行ってしまう主を追いかけ、追うようにして退散する妖夢。
 その場に残ったのは紫と、そして―――。
「あれっ? あんたもいたの?」
 霊夢はそこでふと紫の後方に正座する人影に気が付いた。
 八雲藍。
 紫の使役する式神であり、自らも橙という二又妖怪を式に持つ。
 金色のショートボブに金色の瞳。角のように二本生えた耳がすっぽり被るような帽子をかぶり、服装はどこか怪しげな道教の法師が着ているような、ゆったり目の長袖ロングスカート。
 かの古き妖怪、九尾の化け狐こそ紛れもなく彼女自身のことであり、その証拠に彼女の腰からは黄金色のフサフサした狐の尾が九つ、扇状に伸びている。その実力も幻想郷では指折りで、数少ない常識人にも属する。
 そんな彼女が他の者と歓談するわけでもなく、主の後ろに隠れるように座っていたのである。腕を交互の袖の中に隠した格好で、待機していろと言わんばかりに。
「ん、あぁ。お邪魔している」
 霊夢の問いかけに首だけを向け軽い会釈を返す。
「全然邪魔になってないわよ。で、そんなところで何してんの?」
「いや、特に何かをしているというわけではないが……。紫様が帰られるまでの間、どこに行くわけにもいかんだろうからこうして待っている」
「なんで?」
 霊夢の切り込んだ物言いにたじろぎながら藍は答える。
「なんでと言われてもだな……、強いて言うなら私は紫様の式神だからだ。主がいざ帰るとなった時に酒など飲んでいては失礼なのでただ控えているだけだよ」
「ふーん……」
 なんだか腑に落ちないといった顔で、霊夢は手にした鬼殺しをくいっとあおる。
「だから私に構う必要はないぞ。あぁ、そうだ。飲む相手を探しているなら是非紫様を誘ってあげてくれ。最近少しお元気がないようなんだ」
「あー? あの紫が?」
 さらに怪訝な顔をする。さっきの様子を見ている限りとてもじゃないがそんな感じには見えない。いつも人の背後から現れて脅かしては余計なお世話を言って、知らない間に去っていく。全く迷惑持って極まりないが、飲むだけ飲んで片付けもしないで帰るような輩より、ごみをスキマで持ち帰ってくれるという点に限っては好感が持てる。
「で、その紫さんはどこに行ったのよ?」
「えっ? あれっ?」
 いつの間にかというかやはりというべきか。藍が霊夢と話をしている間に隣にいたはずの紫の姿が消えている。かと思えば、隣のブルーシートからずるずると幽々子を引きずりながらこちらへやって来る。
 手にした扇子で空中を切るように線を引くと、不気味な目玉を無数に覗かせた空間が突如顕出した。切り目の境にある赤いリボンの結び目は本人曰く、自由に空間を操れることを示したものらしいが、霊夢を始め、多くの者からは胡散臭いと思われがちな紫の能力である。
「霊夢ー、悪いんだけど幽々子を送っていくわ。ほら幽々子、しっかりしなさいな。それじゃあ、またねぇ」
「うふふ。れーむー。またねぇー」
「幽々子様! お願いですからその一升瓶を離してください!」
 最初に幽々子がスキマへと放り込まれ、次いで妖夢、最後に紫がスキマから半身を覗かせる。
「……元気無いようには見えないんだけど?」
「おそらく皆の前だからだろう。相当ご無理をなさっているんだ」
 呆れ顔でその様子を見ている霊夢に対し、藍は曇った表情を浮かべていた。
「ほらー藍ー? 早く行くわよー」
「あ、はい、紫様。……そういう訳だ、これにて失礼する」
「ねぇ、あんたに一つ聞きたいんだけど」
 スキマに入ろうとしたところを後ろから霊夢に呼び止められる。
「なんだ?」
「あんたって紫の下僕なの?」
 ざわっと強い風が境内に流れた。土埃に目を押さえる者。帽子が飛ばされないよう手でかばう者。ブルーシートがめくれないよう、酔い潰れた者を重石変わりに隅に追いやる者。
 そんな中、藍は霊夢の目を見つめながら答える。
「……私は紫様の式神だ」
 間髪入れずに霊夢が口を開く。
「式神ってそういうものなの? ならかわいそうね」
「藍ー? 置いてくわよー」
「……失礼する」
 スキマが完全に閉じ、その場に一人残された霊夢は空を見上げてポツリと呟いた。
「本当、面倒くさいわね」

 

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