メイドの心得サンプル


「ああぁーもうっ! はたてにまで出し抜かれるなんて! あんな猿真似新聞の何処がいいって言うのよ!」
 幻想郷で一際目立った、高く隆起した大地。
 先日降った雪はまだ一部の大地を白く染めたままであった。
 そんな通称妖怪の山と呼ばれる場所にある、とある天狗の住まいから怒号が鳴り響いた。
 先週行われた新聞大会の散々な結果が書かれた表を、くしゃくしゃに丸めながら叫ぶその声といえば、隣の集落で河童と大将棋をしていた白狼天狗の手を滑らせ盤をひっくり返すくらいの効果は期待できたであろうか。
 新聞記者としてのいつもの営業口調やスマイルはそこにはなく、雪崩でも起きてしまうのではないかと思わせるほど、地団駄を踏んで悔しがっている様子は、彼女、射命丸文にしては非常に稀な光景といってもよいだろう。
 紙くずとなった結果表は壁に跳ね返ると、そのままくずかごへと一直線に吸い込まれていった。
「あぁ……。このままじゃ腹の虫が収まらないわ。何とかしてあいつを蹴落と…………あいつよりも人気の出る新聞を書かないと」
 記者としてのプライドからその先は言い留めたものの、髪をくしゃくしゃにかきあげると、バサッとその背中に生えた黒い翼を力いっぱい羽ばたかせる。
 文がしまったと思った時にはもう遅い。
 見た目が華奢な少女に見えようが所詮は天狗。
 大の大人四人がかりであっても、軽々薙ぎ倒されてしまう程の風を起こすといわれる天狗の翼を、こんな小さなウッドコテージにも似た狭い部屋の中で羽ばたけばどうなるかくらい、普段の文であれば気がついたであろう。
 しかし周りが一切見えていなかったのか、突風は書き溜めてあった書類の束を無残にも撒き散らしてしまう。
「…………っ!!」
 再び声にもならない悲鳴が、冬晴れとなった妖怪の山に小さく木霊するのであった。

        ◇

 妖怪の山の麓から南、魔法の森の入口にたたずむ小粋な商店、香霖堂。
 もっとも商店とは名ばかりで、営業努力を微塵にも感じさせないボロい平屋である。
 唯一それっぽく置いてあるのも、ガラクタの山に混じったすすけた信楽狸だけだった。
「他を抜く」という本来のご利益も、商売敵すらいないような店では何ら意味を持たない。
 これもまた、本来の使い道を知る術を持たない店主では仕方のないことなのだろう。
「それで、僕の所へ来て一体何がお望みなんだい?」
 そんな店の主人、森近霖之助は文の顔を見るなり嫌そうな顔をした。
 店の中も外観に負けず劣らずといったところか。一昔前の電化製品や雑誌、中には怪しげな水晶玉など、パッと見では何を取り扱っているのかすら分からない。
 そんな店の中で、すっかり落ち着きを取り戻し、取材モードへと切り替わった文が、営業スマイルで霖之助へと歩み寄る。
「いやぁ、外の世界にも詳しい霖之助さんならきっと面白いお話を伺えるかと思いまして!」
「そんな期待されてもね。それに僕にまったくといっていいほどメリットがないじゃないか。たまには品物を見て行ってくれても罰は当たらないと思うけどね。最近入荷したこのキャップ付きインク筆なんかどうだい? 用途は……【有名人にサインを強請るために使う】らしいよ?」
 自身の能力で見通したものの、いまいち使用状況が飲み込めないものを売り込むあたり、目の前のメガネには商才がないのではないか、と文は思ったが口には出さない。
 この程度の軽口を気にするような相手でないことは十分承知しているが、取材相手の機嫌を損ねてしまっては得られるネタも得られないからだ。
「いえいえ、それはまた別の機会にでもぉ」
「そうかい、君にピッタリだと思ったんだけどね―――おっと」
 そもそも期待していなかったといった様子で、サインペンを陳列棚に戻す。
 その拍子に、本棚の上に積み重ねてあった雑誌が数冊床へと散らばった。
「やれやれ、まったく面倒事ばかり増えているよ」
 そこには鴉天狗のことも含まれているのだろうか。ちらりと文を横目にする。
 そんな皮肉たっぷりの言葉も甲斐なく、文はといえば、床に落ちた雑誌の一冊に目を落としていた。
「その本かい? えぇと……外の世界の『テレビガイド』という本だね。君に分かりやすくたとえるなら、ニュース記事を一覧にしたものとでもいえばいいかな」
 ニュースと聞いて、ぴくりと文の耳が動く。
「外の世界のニュース……ですか?」
「まぁそういうことになるかな。それがお目当てかい? 良かったら包も―――」
 そう言って顔を上げた頃には、鴉天狗の姿はもうどこにも見えず、
 かわりに数枚の黒い羽根だけがひらひらと霖之助の足元へと舞い落ちていた。
「まったく、魔理沙といい君らはもう少し良識といったものを覚えるべきだよ」
 メガネの位置を上げながら、やや冷めた口調でため息を吐いたのだった。

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